思考整理

東京大学→Software Engineer

言語化することはAD変換に似ている

今日は言語化とAD変換の関係性についての記事を書こうかと思います。

言語化というのは言わずもがな、「思っていることを言葉にすること」ですね。
あなたが「お腹減ったなあ」と思ったとしたら、それが言語化です。
私達は自分の考え、感情などを言葉というツールを通して万人に理解できる様式に変換しているわけですね。

さて、AD変換とはなにか、ご存知ですか?
AD変換とは、「アナログ信号をデジタル信号に変換することである。」

・・・まあ、そのまんまですね。
AD変換についてご存じないかたは、
アナログ-デジタル変換回路 - Wikipedia
などをご参照ください。


さて、AD変換というのは連続な量(アナログ量)を離散的な量(デジタル量)に変換しているわけです。
しかし、離散値では連続量を完璧に表すことはできません。そのためAD変換をする際には元の量に出来るだけ近い値で近似をしているわけです。
つまり、どれだけ元の量を正確に表そうとしても、AD変換されたそれは限りなく元の量に近いが別物のなにかに変質してしまっています。


これと同じことが、言語化というプロセスでも起こっています。


あなたが「お腹減ったなあ」とか「つまんないなあ」とか「悲しいなあ」とか言ってるその感情、正確に言い表せていますか?
私達は、今抱いている感情に一番近い言葉を自分のボキャブラリから選択しているにすぎないのです。
私が言う「青い」とあなたが言う「青い」はもともとはおそらく違うものでしょう。
しかしその違いを適切に伝えることは難しく、私達が一つ一つ思う感情を逐一正確に伝えることは不可能です。(そもそもその感情を正確に言語化することができないので。)
人間が意思疎通を図るための便宜として、特定の言葉に共通の認識を与え、思考の伝達を可能としたわけですね。
言語というものは、人間が生活していく上で無くてはならないものです。
しかし、私はその言葉の裏に言葉として表され認識されることなく消えていく名も無き感情や事象が無限にあることを忘れないように生きたいと、心に留めています。