やっている、とを楽しむ
仕事をしていると、どうしても「自分には出来ない」とか、「つらい、辞めてしまいたい」と思ってしまうことはあると思います。
その時の状況次第ですが、本当に辞めるべき時(明らかに職場環境が劣悪なとき)は辞めてしまう方が良いですが、辞めたい原因が環境ではなく自分にある時などは、そこで辞めてしまっては問題は解決しません。
他の職場に移ったとしても同じように逃げてしまったり、頑張ることができずに能力も身につかないままで職場だけが変わっていくということに成りかねません。
そんなとき、辛い時こそ、「今やっていることを楽しむにはどうすれば良いだろう」と考えることが有効なのです。
仕事をしている時、特に新入社員の間は辛く厳しい時間が多いと思います。仕事にかぎらずですが、仕事も経験がモノを言う世界ですので、経験が全くない去年まで学生で飲み会しかしていなかったような人間がいきなり仕事が出来るというのは、それは無理難題というものです。
自覚するべき点の1つめは、この点。「自分と、社会人としての経験を積んだ先輩」を比べないこと。
経験値が違う以上、そこを比較してもなんの意味もありません。先輩は、「◯年後に目指すべき姿」として認識し、現在の自分とは比較しないようにしましょう。
比較しなくなっとしても、目の前の仕事が突然出来るようになるわけではないので、やはり辛いということは変わりません。
では、どういった状態になれば楽しくなるのでしょうか。
人が仕事を通じて楽しいと思うには、「上達している実感」「上手くなっている実感」が必要です。
自分はこの仕事を、だんだんと上手く出来るようになっているんだと思うこと、つまり小さな成功体験を積むことによって、自信が形成され楽しいと思えるようになっていきます。
しかし、新入社員である私達は、仕事に慣れておらず、上達する自分を自分でマネジメントすることが出来ません。
同じ仕事をしていたとしても、日によって違う部分でミスをしてしまったり、前回は出来たはずのことが出来なくなってしまったりします。
そうならないためにも、以下の2つのことを意識して実行しましょう。
・「型」を作ること
・「型」を記録すること
同じ仕事を繰り返しするならば、時系列に添って「いつどのような行動を取る/意識するのか」という点を、形式化してしまいましょう。
そして自分ならではの「型」を作ることで、上達の土台が出来ます。後はこの「型」を洗練していくことによって、成長実感は得られるはずです。
また、型は覚えておくことはほぼ不可能なので、メモしていつでも見れるようにしましょう。僕はevernoteに仕事上のいくつもの型をメモして、いつでも参照して確認するようにしています。
仕事を楽しくするためには、「楽しくするためのちょっとした努力」が必要です。
ただ現状を嘆くのではなく、この現状を変えるためのちょっとした変化を起こしてみませんか。
コミュニケーション能力の浮き沈み
コミュニケーション能力は、新社会人に求めるスキルとして多くの企業が取り上げています。
総合職採用の役7割が配属されると言われている営業職では、コミュニケーション能力が無ければお話になりません。
どのような仕事に就くとしても、また、仕事以外のプライベートな時間でも、人間が社会的な生物である以上、人と関わって生きていく能力は必要となってきます。
そんなコミュニケーション能力ですが、私の個人的な経験では調子が良い時と調子が悪い時があり、なかなかコミュニケーション能力の水準が安定しません。
コミュニケーション能力の安定したパフォーマンスを発揮するために、調子が良い時と調子が悪い時の差分について言語化し、意識してトレーニングを積むことで能力の上昇&安定を目指していこうと思います。
コミュニケーション能力を上げたい方、時と場合によって発言量や会話の盛り上がりに差が出てしまう方などに、こちらの記事が参考になれば幸いです。
実例:上手く行った昨日の彼女との会話
私事で大変恐縮なのですが、昨日は彼女と自宅にてのんびりデートをしていました。普段は口下手でなかなか上手にコミュニケーションを取ることが出来ない僕ですが、昨日は上手くコミュニケーションが取れました。
なぜ、上手く行ったのでしょうか。
普段と昨日との違いとして、大きく2つの要素がありました。
- 彼女と会う前に、就職活動の面接で1時間みっちりと話していた
- 会話を上手くこなそうと変に意識することなく、リラックスしていた
- 「何か喋ろう」だけを考えていた。
それぞれについて、考察していきます。
前者について、やはり「慣れ」というか、会話をするだけ会話が上手になるというのはこれまでの経験上間違いないと思います。
そして、その上達は瞬間的なもので、時間が経つとその上達した分は消えてなくなってしまいます。
消えてしまう理由は、コミュニケーションが上手く行った時の、「慣れ」について、「慣れ」によって具体的に何が変わったのかを言語化していないため、「慣れ」た状態から何かを身につけることが出来ないからでしょう。
積極的に会話をする機会を作っていきながら、「慣れ」によって、また上手くコミュニケーションが出来た場合はどういった要素が原因となっているのかを言語化して理解し、意識的に習得していくことが大切でしょう。
さて、後者のリラックスしていたという点について、これこそが「慣れ」の最大の要因です。思い返してみると、普段の自分は「上手くコミュニケーションを取ろう」と考えて、相手が話しているときは「次にどうやって会話をつなげようかな」と考えてしまっており、それが逆にチグハグな会話を生み出していました。
頭の中をシンプルにした方がむしろ自然と考えが出てきて、自然な会話を紡ぐことが出来るのだと感じます。
そもそも僕はコミュニケーションを難しく考えすぎていたようで、「自分の素の考えだと浅いから、もっとよく考えて正しい/深い内容をしゃべらないといけない。」と考えてしまう癖があります。
そしてその考えによって思考が縛られ、スムーズに言葉が出てこなくなってしまっているのです。
この時、相手の立場から考えると、僕に求めているものは僕の能力以上のコミュニケーションではなく、等身大で十分なはずです。
変に見栄をはろうとして、勝手に肩肘を張って自滅している。
シンプルに、思ったことを自然と紡いでいくことを意識します。
最後に、シンプルにとは言え何も考えていないわけではありません。
唯一考えていたのは、「何か喋ろう」ということです。
自然と喋る内容が出てくればそれは楽なのですが、出てこないときももちろんあります。
そんな時は、やはりシンプルな頭で、何か喋ろうということだけを意識して言葉を紡ぎました。
紡ぐ言葉の良し悪しは、まだ言語化しきれていない部分なので、その点に関しては後日考えてまとめてみようと思います。
まとめます。
・コミュニケーション能力を伸ばし安定化させるには必要な要素を言語化し意図的に習得する努力をする
・慣れ。場数に多く経つこと。PDCAを回すこと。
・シンプルに、考えすぎないこと、緊張せず、「自分は出来る」と思い込むくらいがちょうど良い。
・考えておくことは「何か喋ろう」くらいで十分。
仕事のモチベーション
皆さん、仕事をしていく上でのモチベーションはなんですか?
その仕事をすることでの社会的意義でしょうか。世の中を良くしている、人を幸せにしているという実感でしょうか。はたまた自身のキャリアにおける今の仕事の重要性でしょうか。
仕事は辛く厳しく、辞めてしまいたいと思うことも多い中で、それでも頑張っていこうと思うためには何らかのモチベーションが必要不可欠です。
そして、モチベーションというものは自然と出てくるものではなく、自分で作り上げにいくものだということは、意外と見落とされがちだと思います。
今回は仕事をしていく上でのモチベーションを、どのように確立していくのかについて考えていこうと思います。
モチベーションの有無が仕事に与える影響
モチベーションが無くとも、仕事を辞めてしまい職につかないと生きていくことは出来ないので、仕事を続けることは出来る人が多いでしょう。
しかし、モチベーションを持って仕事をするのと、モチベーションを持たずに仕事をするのとでは大きな違いがあります。
仕事を通じて積める経験値に大きな違いが出て来るのです。
モチベーションがあれば、仕事に取り組むスタンスが変わってきます。
モチベーションの種類にも依りますが、「もっと仕事が出来るようになろう」という方向性に思考が寄ると、1つ1つの仕事に取り組む姿勢が変わり、ただこなすのではなく「改善」を繰り返すようになります。
スキルとは努力×努力の方向性で習熟度が定義されるので、ただ時間を投下するだけでは効率良くスキルを習得することは出来ません。
きちんとしたモチベーションを持ち、「改善」を繰り返す働き方をする必要があります。
では、仕事を通じて積める経験値が多いと何が良いのでしょうか?
正の循環をつくる
経験値が多いと、仕事が出来るようになるまでの速度が上がります。そうすると、瞬発的にも仕事を楽しいと思えるタイミングが増えてきます。
人はできなかったものが出来るようになったときに喜び、達成感を感じる生き物なので、仕事に精力的に取り組み、成功体験を得ることで仕事に対するモチベーションが更に高まり、次の仕事にも精力的に取り組むことが出来るという、「正の循環」が生まれるのです。
こうなってしまえば、もうこっちのもの。
成功体験を繰り返し、高い自己イメージを形成しながら仕事に取り組むことが出来るでしょう。
成功体験
でも、成功体験を積むまでが辛くて辛くて仕方ない。最初の成功体験を積むまで努力し続けるほど、モチベーションが無いという人もいると思います。
むしろ、そういった人の方が大多数なはずです。僕もそうです。
しかし、それは「成功体験」の大きさに関して誤解があります。成功体験には、多くの方がイメージするような、「目玉プロジェクトを完遂させた」とか、「巨大アカウントからの注文受注に成功した」などの巨大なものもありますが、「文章を書くことに対する抵抗感が薄れた」や「1日のうち、サボる時間が減った」などの小さなものもあります。
そして、後者の小さな成功体験を言語化/可視化することが、日々仕事のモチベーションを保つ上で重要となるのです。
巨大な成功体験はその分得られる達成感、次の仕事へのモチベーションは大きいですが、それだけでは日々の苦労を帳消しにして仕事に勢力的に取り組むモチベーションとして機能することは難しい。
日々、小さな成功体験を積み重ねて、「自分は成長している」「自分は昨日よりこんなところが変わった」ということを意識することで、確実に前進していることを感じモチベーションとなるのです。
毎日、「出来るようになったこと」を記録する
僕は毎日、その日出来るようになったこと、昨日の自分と変わった所を日報という形で書き留めています。
この習慣を始めたのは最近ですが、それ以前は仕事が本当に大変で、自分の仕事の出来なさに辛くなり、鬱々とした日々を送っていました。
しかし、小さな成功体験を可視化することで、自分は確実に出来るようになっているんだ。前に進んでいるんだという実感を得ることが出来、プラスの気持ちで仕事に取り組めることが増えてきています。
僕と同じように、仕事で辛い思いをしている新入社員の方に、少しでも助けになれば幸いです。
自分一人で考えることの限界
皆さん、悩み事はありますか?
悩み事について、1人で悩んでいませんか?
悩み事は、1人で考えるよりも、詳しい人に話しを聞いてもらい意見を貰いながらPDCAを回していった方が良いです。今回はこのことについて、僕自身の実事例を織り交ぜながら考えていこうと思います。
悩み事について、いつまでも悩み続けていれば良いと言うのであれば話は違うのですが、多くの悩み事には期限があり、決断か行動を迫られるものです。
決断するために、自分の頭で考えに考え抜いて決めることは非常に大事ですが、自分が決めようとしている内容に関して、どれだけの予備知識を持っているのかという点については一考の余地があります。
例えば就職先について悩んでいる学生にとって、仕事に就いた経験が無い、就職先を選択した経験が無い状態で、自分の頭の中だけで仮説を構築し決断をしようともがいてみたとしても、経験が無いがゆえに抜け漏らしてしまっている変数があったりします。
自分で考えた後でそういった思考の漏れを発見してしまうと、非常にもったいないことに今まで多くの時間をかけて考え抜いてきたことが、前提から覆されてしまうかもしれません。
自分が詳しくないことがわかっている領域に関する悩みであれば、自分ひとりで悩み続けるのではなく、短い時間で仮説を構築した時点でその分野に詳しい人にさっさと聞きに行って意見をもらうことが、遠回りに見えて実は近道になるのではないでしょうか。
僕は、就職先について自分の頭で考えて、自分なりに仮説を構築し、ベンチャー企業に就職するという決断をしました。
決断した内容について研究室の教授に伝えたところ、人生の大先輩である教授から、IPOの話、経営権を持てるのかという話、入社しようとしている企業の社長にとって、自分が将来の経営者として見られているのか、1労働力として見られているのかどっちなのかという話をしていただきました。
お恥ずかしながら自分では想定していなかった視点をいただき、それまで長い時間をかけて考えてきた自分の決断が、新たな変数が入ることによってゆらぎ考え直さざるを得ない状態になってしまいました。
言われたらそりゃそうだと思うことも、実際に自分の立場になると出来ないもんだなあとひしひしと感じます。
この文章を読んでいる皆さんには、自分はそんな失敗をするはずないと思わずに、僕と同じ過ちを犯さないよう心の片隅に留めておいていただきたいのです。
最終的に、トータルで短い時間で決断を出すために、自分の知識の範囲と必要な知識の範囲の共通部分の面積がどれくらいあるのかを想定することは大切です。
とは言え必要な知識の部分はわからないので、基本的には、自分がその分野の第一人者でなければ、聞かないとわからないことがたくさんあると考えるのが無難でしょう。
まとめます。
・自分一人で考えても、知り得ない知識があると考えたことが前提から覆される可能性がある。
・さっさと仮説を作ったら、詳しい人に聞く。
・基本的に、聞かないとわからないことがたくさんあるというスタンスで行動する。
生産性の高い時間とは何か
仕事場などでは、生産性を上げろ!とか、生産性を意識して仕事をしろ!といった言葉をよく耳にします。
休暇でも、1日を何もせずダラーっと過ごしてしまった日などは、「1日を生産的に過ごすことが出来なかった」や、「もっと生産的なことに時間を使いたかった」などと思います。
「生産性」という言葉、分かっている気にはなっていますが、よく考えてみると何を指しているのかが曖昧なのではないでしょうか。
また、文脈(職場なのか、休暇中なのか)によっても、意味する内容が変わってくるはずです。
生産性の高い時間とは、具体的に何を指すのか、考察してみます。
生産性の定義
Wikipediaには生産性は次のように定義されています。
生産性(せいさんせい、Productivity)とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。
一定の資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるかという測定法と、一定の付加価値をどれだけ少ない資源で産み出せるかという測定法が在る。
つまり、生産性=付加価値/投下資産
で定義されます。
この定義における投下資産は時間やお金、手間などの「コスト」を総称して指し、文脈によって変化しません。
一方付加価値というのは、「誰にとって」のものなのか、「どのような背景、環境における」ものなのかによって変わってくる変数であり、職場なのか休暇中なのかで指し示す内容が変わってくる変数となるはずです。
職場での生産性とは
職場における付加価値とはなんでしょうか。
まず「誰にとって」、これは難しいですが、最終的には「自社」です。
その一段下のレイヤーに「クライアント」があり、クライアントへの付加価値が、すなわち自社の利益に直結します。
つまり職場における生産性とは、「自社に対する付加価値」/投下資産
と定義されます。
休暇中(自分の時間)での生産性とは
自分の時間では、自分が勤める会社の話は登場しません。
では自分の時間における付加価値とは、「誰にとって」のものなのでしょうか。
これは家庭環境や取り組む内容によっても変わってきますが、「一人暮らし」で、「自己研鑽」のための活動を例にとると付加価値の対象は自分です。
この場合、生産性は「自分への付加価値」/投下資産
と定義されます。
生産性を上げるために出来ること
生産性というものが「誰にとって」の付加価値なのかを考えることによって定義することが出来ましたが、これでは粒度が大きすぎて日常のアクションに落とすには距離が大きすぎます。
休暇中を例にとって、生産性を上げるには具体的に何が出来るのか?という観点でブレイクダウンしていこうと思います。
「自分への付加価値」とは、自分の人生におけるどういった項目に対する付加価値なのでしょうか。
人生には、仕事、遊び、恋愛、趣味など多様な要素が絡み合って存在しています。
今回は、「仕事」に絞って考えてみましょう。
「自分の仕事への付加価値」とはなんでしょうか。
「仕事が出来る」状態に近づくこと、と定義して問題ないでしょう。
仕事が出来るという言葉がまた抽象的で、自身の仕事内容によって具体的なスキルセットやマインドセットに更に分解されるはずですが、ここではあえて「仕事が出来る」という抽象度でも共通する内容に止めようと思います。
どの職業でも「仕事が出来る」状態に近づくために必要なのは、「改善」です。
出来ないことが出来るようになることによって、「仕事が出来る」状態に近づきます。
「改善」を図るための指標は、「変化」です。
その時間によって、自分自身の行動、変化にどのような「変化」があったのかを計測することで、生産性を確認することが出来ます。
(もちろん、今まで出来たことができなくなってしまっても「変化」にはなってしまうので、ここでは改善の結果プラスの変化が現れていることを前提としています。)
ということで、僕は毎日、その日1日で自分自身にどのような「変化」が起こったのかを記録し可視化することで、「生産性の高い時間」を過ごせるようにしています。
ブログを書くことで、「文章を書くことへの苦手意識が薄れてきている」という変化があり、嬉しい今日このごろでした。
成功者の発言の真意
ビジネスで成功した人のインタビュー記事を見ると、「この仕事が大好きだ」「毎朝起きると、この仕事が出来ることが幸せでたまらない」などの発言をしている人が多いように感じます。
そういった記事を見ると、仕事をすることに嫌悪感を抱いてる自分と比較して、「こんなふうに仕事を好きになれない自分じゃダメだ」とか、「やっぱり成功する人は天職に巡り会えた人なんだ」などと思ってしまいます。
こういった成功者の発言を、素直に額面通りに受け取ってしまうとこういった思考に陥りがちですが、見落とされがちだけど注目しないといけない点が2点あります。
この2つの点をしっかりと考慮することで、自己嫌悪に陥ること無く、前向きな心を保つことが出来るようになるので、ぜひ一考してみてくださいね!
- 「仕事が楽しい」と言っているのは現在であり、昔からずっと「仕事が楽しい」と言っていたとは限らない
物事には歴史があり、時系列で捉えなければ本質を捉えることが出来ない場合は数多くあります。
成功者を見ると、成功者の現在にフォーカスをあててしまい、その背後にある歴史に目を向けることは蔑ろにされがちです。
成功者が成功者たる所以は、背後にある膨大な努力です。
彼らが膨大な努力をしている時、仕事を始めたばかりで右も左も分からない時、彼らは「この仕事が大好きだ」と言っていたでしょうか?
「この仕事が大好きだ」と言えていない自分は、彼ら成功者と同等の膨大な努力を積み上げた状態でしょうか?
辛く厳しい鍛錬を乗り越えて彼ら成功者の今があることを見落としてはいけません。
自分が辛く厳しい鍛錬の途中にあるとするならば、成功者の発言は現在の自分の思いと比較するのではなく、3年後、5年後の未来の自分の思いと比較するべきでしょう。
現在の自分と比較して自己嫌悪に陥るより、努力の先にある姿としてモチベーションに変えてしまう方が、よっぽど有意義ですよね!
- メディアとして取り上げられる場で、必ずしも本音を話すとは限らない。
彼らには立場があり、彼らの発言は彼らの立場と関連付けられて読み手に理解されます。
読み手は彼らのクライアントかもしれないし、彼らの会社への就職を目指す若き学生かもしれない。
そういった読み手が、自分の発言を聞いてどう思うのか?
そういった読み手に、自分の発言を通じて、どう思わせたいのか?
メディアとして対外的に発信される以上、上記のような情報の受け手の感情を考慮しながら彼らは発言をしています。
その発言には、本音ももちろんありますが、その上に意図がかぶさっている場合がほとんどでしょう。
私達が見ているのは、あんぱんのぱんであり、本音というあんは、意図というぱんに包まれている可能性が高い。
このように書くと、「じゃあビジネスの成功者は、本当は仕事を楽しいと思っていないのか」と言われるかもしれませんが、そうではありません。
あんぱんのぱんは、非常に薄いぱんで、ほとんど中のあんこが透けて見えている状態、が僕の予想です。
表面には意図のコーティングがなされているが、嘘をついているわけではないでしょう。そこを勘違いしてはいけません。
ただ、もう一つありえる仮説としては、彼らは「仕事が好きだ」と対外的に公表することで、自分に暗示をかけているという考えです。
思いを言葉にするのではなく、言葉を発することで、自分は本当にそう思っているんだと思い込むことを利用しているのではないでしょうか。
まとめます。
・成功者の発言を額面通りに受け取らない。
・背景の努力に目を向ける。
・発言の聞き手の感情を意図して発言していることに目を向ける。
・もしかして、発言することで自己暗示をかけているのかも?
世の中には凄い人がたくさんいるが、その人のどの時点を見ているのかが大切
今日はお世話になっている就活サービスの先輩方と飲みに行く機会がありました。
その就活サービスの人達は本当に頭が良いな、よく考えているなと思わせられることが多く、自分は発言して「こいつ馬鹿だな」と思われるのが嫌で発言できずにいました。
しかも彼らは文系で就職活動を既に終えているので、理系院生の僕から見ると年下だったりします。
僕は能力があれば年齢なんて関係ないと心の底から思っていますが、それでも自分より人生を長く生きていない人が自分より深く考えていることを実感すると凹むのは事実です。
でも、そこで凹んで終わらないのが、大事なこと。
凄い人を見ると、「この人は頭が良いんだなあ」とか、「自分と違って、普段からちゃんと物事を考えて過ごしているんだろうな」とか、「天才なんだろうなあ」とか、思います。
その人の、「現在」とか、「生まれ持った才能」とかにフォーカスをあてて考えてしまいがちです。
その人の、「過去」とか、「努力」とかにフォーカスをあてるべきなはずなのに。
人はつい、凄い人を見ると、その凄さの要因を「才能」に求めがちです。
その方が楽だから。
もっというと、「才能」に依拠することで、すごくない自分を正当化出来るから。
「才能は、自分の力で変えることは出来ないから、自分がすごくないのは仕方がないことだ」と考えると、正当化出来るから楽なんです。
僕の、凄い人を見た時の考え方は基本的にこれでした。
「凄い人はいるもんだなあ」
「自分より能力の高い人はいっぱいいるんだなあ」
でも、上司はこう言います。
「キミが今現在出来るかどうか、能力があるかどうかはどうでもいい。」
「事業を前にすすめるために、結果を出すために努力が必要なら、やるしかない。」
アンジェラ・ダックワース著 「やり抜く力 GRIT(グリット)」にはこうあります。
大きな成果を出した人の多くは、必ずしも才能に恵まれていたわけではない。成功するために大切なのは、優れた資質よりも「情熱」と「粘り強さ」――すなわち「グリット(GRIT)」=「やり抜く力」なのだ。
成果を出している人、凄いと思う人は、努力をしています。
その人がどれくらいの努力をして現在の能力を手に入れているのかを考えないと、努力をしていない自分とただ比較するのでは意味がありません。
努力していない自分と努力した凄い人を比較して凹むのは全く意味がありません。
努力すれば良いだけの話ですから。
凄い人に気落ちしても何も変わらない。時間の無駄なので、今日もこうしてブログ記事を一本書き、凄い人になるための努力に勤しみます。