価値の尺度は場に依存する
何に価値があるのか、という問いに対する答えは、その場における価値の尺度によって変わります。
大学入試の場で筋肉量を誇ってもそこに価値はありません。
旧石器時代の戦場で石器武器を手にして敵を眼の前にし、化学の周期表を暗証できることに価値はありません。
車を運転するときに、歌の上手さは価値になりません。
では、価値は何に依存するのか
場、つまり環境です。
それは時代、空間的なもの(国家の違い、文化の違いといったマクロなものから、家庭と仕事、車の運転などミクロなものまで)、求められる役割などを含みます。
今回のテーマにおける、僕の主張は2点です。
1. 場の尺度で価値を出さなければ行けない。
2. 価値を出せる場を選ぶ
1. 場の尺度で価値を出さなければ行けない。
ここに勉強が比較的得意な学生がいたとします。
彼は世間的に認められている大学に入学し、アルバイトとして飲食店のホールで働きはじめました。
ホールとしての仕事を始めた彼はなかなか上手く仕事をこなすことが出来ません。
大学での試験は、与えられた条件の元、眼の前の問題を個別に撃破していく作業です。
ところが飲食店での仕事は、パラレルな判断と割り込みへの対処など不確定要素に対する動的な判断が必要になってきます。
受験勉強では良い成績を残せた彼も、求められる能力が異なる飲食店ではタジタジです。思うように価値を出せません。
彼は社員に叱責されます。良い大学にいるのに、こんなことも出来ないのか、と。
彼は苛立ちを覚えます。彼の生きてきた世界では勉強が評価されてきた。その勉強で自分はこの社員より優れている、と。
しかし、勉強の世界から外に出たことのない彼は気づけないでいました。
社会では、この世界では、場によって価値の基準は異なる。
場で求められた尺度に沿った価値を出さなければいけない。
彼のいた、偏差値という尺度があった世界は、この世の中に存在する様々な場のうちの小さな一つのパターンでしかないということを。
2. 価値を出せる場を選ぶ
そんな彼も大学三年生になり、就職活動を始めます。
彼は飲食店でのアルバイトを通じ、世の中には様々な価値の尺度を持つ場があり、その尺度の中で価値を出す必要があることを学びました。
彼は考えます。これから就職先を考えるにあたり、様々な職種、業界と言われる分類がある。それらは場であり、場によって求められる尺度は異なるはずであると。
ならば自分は選ばなければならない。自分が価値を出すことができる尺度を、採用しているであろう場を。
与えられた場所で咲くことがすべてではない。自分の意志で、自分が価値を発揮できる場を選んでいかなければならない。
彼は知っている。世界には様々な場があり、そこで求められる価値は千差万別である。偏差値は one of themに過ぎない基準でしかない。
彼は選ぶ。何を求められているのかを見極め、自分が輝ける場所を。その場所は、世間で認められた場所ではないかもしれない。世界の大半の人間は、偏差値という one of themの基準を、社会に誇大適応してしまっているから。
彼は少数派となる。意思決定の軸を持っているから。価値の尺度は多様であることを知っているから。
しかし彼は知っている。真理は大衆の側にはない。
彼は経験を積み、人間として成長していく。そして彼はいつか、新しい価値の尺度を生むものになるだろう。
価値を評価する、その基準を作るものが一番の価値である。そのことに彼は気付いている。